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原田治のイラストレーション展」

都築潤 レクチャー


イラストレーターでありながらイラストレーション史の研究者でもある都築さんに、
原田さんが仕事を始めた70〜80年代のイラストレーションの状況や、
イラストレータ原田治」の独自性を語っていただきたい、という思いから実現した特別講義。
客席には、パレットクラブ講師の姿もちらほら。


映像を織り交ぜながら、時代背景を語っていく都築さん。
70年代、好調な経済から広告投資が増え、イメージ広告が生まれてくる。
その先端に、西武が渋谷につくったパルコがある。
そのパルコが、榎本了壱を中心に、雑誌「ビックリハウス」を創刊するのが75年。


また70年代をとおして、イラストが広告デザインという特権的な場から降りて大衆化していく。
中心となるヴィジュアルがなくなり、多様化したメディアのイメージがイラストレーションにも影響する。
80年前後には、さまざまな分野でヴィジュアル・インパクトが生じる。


そのような時代背景の中で、「ビックリハウス」の投稿コーナーから生まれた日本パロディ展が、
日本グラフィック展になり、そこから日比野克彦が登場する。
ここから80年代コンペブームが生まれ、広告業界とつながることで、イラストレーションが盛り上がりを見せる。
そして日比野がアーティストを名乗ることで、イラストレーションが拡張し、大きなうねりが生じていく。


この時代のイラストレーションの流れをこのようにまとめてくださいました。
そしてそんな中で、70年からイラストレーターとして仕事を始めていた原田さんは、
ビックリハウス」創刊に関わり、同時にオリジナルのキャラクターグッズ「オサムグッズ」を作り始めます。


この「オサムグッズ」の独自性について、都築さんは、
キャラクターを支える背景やストーリーなしに、キャラクターグッズが出てきたことは、
画期的な出来事だったと指摘されていました。


渋谷西武が生んだ「パルコ文化」を中心とした「ビックリハウス」の流れが、その後のコンペブームにつながり、
現在のイラストレーションを考える際のひとつの参照点になるのではないか。
都築さんのそのような視点はとても興味深く、そこからさらに思考がふくらんでいきます。
情報量の多い、とても刺激的な1時間半でした。


日本イラストレーション史

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